江戸時代の私塾 松下村塾

江戸時代には、多くの私塾がありました幕府や藩が開く官製のものと違って、型に嵌らず、時代のニーズをたくみに取り入れ発展しました。特に江戸時代の末期には鎖国の体勢がほころび、西洋の文化を窺い知るようになるにつれて私塾は活発になり、多くの有能な人材を輩出しました。教授される内容は伝統的な漢学や東洋医学、蘭学や新たな西洋医学など様々です。もちろん今と同じく、書や画、和歌や俳句もあったと思われます。有名な私塾としては、吉田松陰の「松下村塾、廣瀬淡窓の「咸宜園」、緒方洪庵の「適塾」などが知られています。明治になってからも津田梅子の「女子英学塾」など数多くあり、現代の大学の母体となったものも少なくありません。現代も「松下政経塾」が有名で、政財界人を多く生み出しています。

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特に吉田松陰の「松下村塾」は、久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、などそうそうたる人材を輩出しました。塾生でないまでも親交があり教えを受けたり、また松蔭の教えを受けた弟子から学んだりと、直接間接に松蔭の影響を受けた人材達が明治政府の最高指導者として、近代日本の舵取りを行いました。優れた指導者による教育の力が、いかに大きなものかと言うことを示すものです。しかも松蔭が亡くなったのは若干29歳で、塾を主催したのは1858年(安政5年)から投獄されるまでのわずか3年間に過ぎません。20代半ばで、しかもわずか3年間で次世代を担う人材を数多く輩出させたことを振り返ってみると、「教育」の意味を改めて考えさせられます。

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