明治初期の初等教育

明治5年に制定された学制は、欧米の教育制度を模範とした壮大な構想の近代学校制度でした。維新直後の明治政府は、まず高等教育の大学などに注力していましたが、新たに整備された学制は、ほとんどが初等教育に向けられ、初等教育の卒業生が発生するに応じて、順次上級学校の制度を整備していきました。制度はできても当時の日本の社会は、まだ制度をきちんと運営していく基盤がなく、制度はその後頻繁に改正されています。教育費の国庫予算も少なく、制定された学区内で貧富の差に応じた各戸割り当て金や寄付などで費用の大半が徴収されていました。

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当時小学校は「尋常小学」、「女児小学」、「村落小学」、「貧人小学」、「小学私塾」、「幼稚小学」に区分されていました。「尋常小学」は制度の基本で、6歳から9歳までの下等小学と、10歳から13歳の上等小学に分かれていました。「女児小学」は尋常小学と基本は同じですが、手芸等の内容が付加されていました。「村落小学」は教則を少し省略したり、夜学校を設けたりして年齢の長じたものにも学習の機会を与えようと考えられていました。「貧人小学」は貧しい家庭の子弟のための学校で、寄付により運営されていました。「小学私塾」は小学の教科の免許を持つものが私宅で教える形態で、「幼稚小学」は今の幼稚園で就学前の予備教育にあたるものです。明治政府の苦心の跡と実情に合わせた柔軟性も窺い見えます。

参考 文部科学省「学制百年史

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