東大と京大の前身は何だったのか

東大と京大は云わずと知れた、東西の双璧で、事あるごとに比較されてきました。よく言われることに、「秀才の東大と天才の京大」というのがあります。日本初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士は京大の出身です。秀才と天才を生み出す違いはカリキュラムや伝統的な指導方針ばかりでなく、学生を選別する入試の問題にも現れているようです。それではそもそも東大や京大の前身は何だったのかに興味が湧きます。それぞれのHPで沿革を調べてみると、東大の前身の一つは1684年(貞享元年)の幕府の天文方のようです。その後、洋書所、開成学校と変遷し、別の流れの昌平坂学問所や種痘所(後の東京医学校)と合わさり、明治10年に東京大学として創立されています。
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一方京大は1861年(文久元年)にオランダ海軍医官ポンペの建議により設立された長崎養生所とされています。1865年(慶応元年)に分析学理所が付設され、これが翌年江戸に移設されています。さらに1868年(慶応4年/明治元年)に舎密局として大阪府に再移転され、この舎密局が京大の前身しされています。その後、政府の学制の改変に従って、専門学校、中学校、高等中学校、高等学校と変遷し、1897年(明治30年)に、ようやく京都帝国大学として創設されました。ともに医学校的色彩の強いスタートですが、長く体勢の中の学問の中枢として歴史を刻んできた東大と、そもそも外国人による提案であったこと、時代の、政治の求めに応じて転々とした京大とでは、かなり違った背景です。

参考:東京大学HP   
京都大学HP

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東大生のノート

以前、銀行で順番待ちをしていたときに、ふと手に取った本があまりに面白く見入ってしまいました。東大生のノートをそのまま抜粋しまとめたもので、どのページも書いた学生の思考過程が歴然としていて、読んでいて飽きません。『東大合格生のノートは必ず美しい』(太田あや著/文芸春秋社)という本が出版されていますが、そのとき手にしたのは解説などの文面のない、ノートのコピーだけで綴ったようなものでした。とにかく「見やすい」!なぜ見やすいかと言えば、まず文字が見やすい、改行や段落構成がしっかりしている、余白が美しい、アンダーラインや色分けが効いている、矢印などで詳細の説明・理論的根拠・思考過程等が順を追って説明されているなど、読んでいくだけで書かれている内容が整然と頭の中で整理されながらインプットされていきます。

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明らかに授業を聞きながら、時間内に理解を済ます努力が感じられて、しかも仕分けしながら頭に入れている様子が分かります。どのページも、書き手の個性による違いはありますが、だらだらと読まなくても、内容が一目瞭然の見やすい特徴を備えています。まさに「美しいノート」というのが手に取った実感でした。授業を聞きながら、これだけのノートを作成するには、集中力はもちろん、瞬発力も必要でしょう。美しさ、見やすさは、集中して得たその時の理解度の結果だと思います。

参考:『東大合格生のノートは必ず美しい』(太田あや著/文芸春秋社)

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関西の女子教育の草分け、梅花学園

梅花学園は1878年(明治11年)に澤山保羅により、梅花女学校として開校しました。実に130余年の歴史を誇ります。キリスト教精神に基づく人間教育を建学の精神にしています。学校法人梅花のHPによると、「学園当時から外国人教師による斬新な英語教育を実施」とあります。明治維新からわずか10年で、女子への本格的な英語教育が関西の私立の学校で実践されていたことは驚きです。澤山と共に開校に参加した成瀬仁蔵は、その後いくつかの学校の設立に参加した後、梅花女学校の校長となり、1901年(明治34年)に日本女子大学校を創設しました。

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梅花女学校は1913年には、政府の高等女学校令によって梅花高等女学校と梅花女子専門学校を新設しています。翌1914年には高等女学校を卒業した後の高等教育機関として梅花女学校専門部を開設しています。1922年には国の専門学校令により梅花女学校を梅花女子専門学校に昇格させています。その後も学制改革による改編と学科の増設を行い、学校法人梅花学園として現在は、梅花女子大学も大学院、短期大学、梅花高等学校、梅花中学校、梅花幼稚園を運営しています。

参考:学校法人 梅花学園

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江戸時代の私塾 松下村塾

江戸時代には、多くの私塾がありました幕府や藩が開く官製のものと違って、型に嵌らず、時代のニーズをたくみに取り入れ発展しました。特に江戸時代の末期には鎖国の体勢がほころび、西洋の文化を窺い知るようになるにつれて私塾は活発になり、多くの有能な人材を輩出しました。教授される内容は伝統的な漢学や東洋医学、蘭学や新たな西洋医学など様々です。もちろん今と同じく、書や画、和歌や俳句もあったと思われます。有名な私塾としては、吉田松陰の「松下村塾、廣瀬淡窓の「咸宜園」、緒方洪庵の「適塾」などが知られています。明治になってからも津田梅子の「女子英学塾」など数多くあり、現代の大学の母体となったものも少なくありません。現代も「松下政経塾」が有名で、政財界人を多く生み出しています。

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特に吉田松陰の「松下村塾」は、久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、などそうそうたる人材を輩出しました。塾生でないまでも親交があり教えを受けたり、また松蔭の教えを受けた弟子から学んだりと、直接間接に松蔭の影響を受けた人材達が明治政府の最高指導者として、近代日本の舵取りを行いました。優れた指導者による教育の力が、いかに大きなものかと言うことを示すものです。しかも松蔭が亡くなったのは若干29歳で、塾を主催したのは1858年(安政5年)から投獄されるまでのわずか3年間に過ぎません。20代半ばで、しかもわずか3年間で次世代を担う人材を数多く輩出させたことを振り返ってみると、「教育」の意味を改めて考えさせられます。

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奨学金制度-4 新聞奨学生

新聞配達は日本に限らず、未成年のアルバイトとして広く認知されてきました。日本が高度成長を遂げた後は、小さな子供が新聞配達をするのを見かけることはなくなりましたが、新聞配達店に勤務しながら、自力で大学を卒業する仕組みがあり、各新聞社がその制度を用意しています。早朝の業務の後、夕刊配達までの時間に大学に通うシステムですが、夕刊配達のため授業に思うように通えない場合もあります。朝刊の配達前にも折込みなどの業務があり、早朝というより深夜に近い時間帯から働かなくてはならず、体力的にはかなり重労働と言って良いでしょう。一般の奨学金は、卒業後に安い給料の中から返済し続けなくてはならず、滞納も社会問題化していますが、新聞奨学生の場合は給与が支払われ、寮も確保してもらえるほか、卒業まで働けば限度額を超えた部分を別として返済義務は発生しませんので、経済的にはメリットがあります。

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読売育英会の場合はAコース(朝夕の配達、集金、チラシ折込み、PR業務、事務処理等の6時間労働)と夕刊の配達と集金業務のない5時間労働のBコースがあります。給与のほかに、入学金・授業料・施設費・諸経費などの学費全額が貸与され、コースや年数によって返済免除額が決められています。完全個室の住まいが無料で提供され、通学定期の補助のほか、研修旅行や健康管理も行われます。またAコースを4年間勤務した場合は、305,000円の卒業祝い金も支給されます。1964年に初めて奨学生制度をスタートさせ、78,000人に上る卒業生を社会に送り出している実績があります。

参考:読売育英奨学会

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奨学金制度-3 東京都育英資金貸与事業

東京都生活文化局は、都民に対して高等学校、高等専門学校または専修学校(高等課程・専門課程)に在学する方に、奨学金を貸与する制度を用意しています。貸与・返還業務は公益財団法人東京都私学財団が窓口になっています。特色は高等学校とそれに順ずる学校の在学生が対象で大学等への支援ではない点です。一般募集と特別募集があり、在学する学校の推薦が必要で、申込も学校を通じて行います。特別募集は生計維持者が失職、破産、死亡、離別、病気、事故、災害などで、支出が増大したり、収入が減少したりした場合が対象となります。
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一般募集の貸与月額は
高等学校・専修学校(高等課程) ・高等専門学校→国公立:18,000円 私立:35,000円
専修学校(専門課程)→国公立:45,000円 私立:53,000円
そのほかに東京都私学財団は、私立高校等授業料軽減助成事業も行っています。国の就学支援金等を受給している場合でも申し込めます。在学している学校を通じて申し込み、世帯の生活困窮度(住民税の課税度合)に応じて、助成額が異なります。生活保護世帯の授業料軽減額は179,400円となっています。また入学支度金の貸付事業も行っています。奨学金はいろいろな制度がありますが、重複して受給できないものがほとんどです。地方公共団体の支援等も調べて、申し込み資格、貸与額、返済条件等を良く比較して、返還計画も含めて最適なものを選択する事が大切です。

参考:公益財団法人 東京都私学財団

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奨学金制度-2 日本学生支援機構

独立行政法人日本学生支援機構の奨学金の種類は下記の通りです。
1.入学する前の申込
第一種奨学金(無利息)
第二種奨学金(利息付)
2.在学中の申込
第一種奨学金(無利息)
第二種奨学金(利息付)
3.緊急採用・応急採用

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大学に入学・通学するための資金の支援で、学力基準のほかに、世帯の収入上限が定められています。第一種と第二種は併用して借り入れる事ができます。緊急採用・応急採用とは、家計支持者の失職、破産、事故、病気、死亡等若しくは火災、風水害等、または学校の廃止等による費用負担増加などに対応するものです。貸与月額は、第一種奨学金の場合は一律3万円コースと国公立・私立の違いや自宅通学が自宅外通学かで額が違うコースがあります。第二種奨学金は3万円から12万円まで5タイプあります。入学時と同時に奨学金の貸与を受ける場合は、入学時特別増額貸与奨学金を貸与月額に加えて受取ることも可能です。ただしより厳しい世帯収入制限や「国の教育ローン」の融資を受けられなかったことなどが条件となっています。返済はリレー口座を銀行等で開設し、卒業後に支払っていきます。リレー口座とは、返済された資金が、次の世代の学生の支援にリレー貸与されるという意味です。

参考:独立行政法人 日本学生支援機構

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奨学金制度-1 国の教育ローン

国の教育ローンは、「教育一般貸付」、「郵貯貸付」、「年金教育貸付」の3つがあります。その中で、「年金教育貸付」は独立行政法人福祉医療機構で取扱っていましたが、平成19年の閣議決定による独立行政法人合理化計画により、現在休止しています。また「郵貯貸付」は「教育積み立て郵便貯金」の預金者が対象で、学制・生徒一人当たりの融資額は200万円以内(ただし、教育積立郵便貯金の現在高の範囲内)です。世帯の収入による制限はありませんが、融資を受けるに当たって審査があります。対象となる学校や使い道は教育一般貸付と同じです。郵貯銀行・郵便局で取扱っていたので手軽でしたが、新規取り扱いは平成19年で終了しています。今後は「教育一般貸付」に一元化されるようです。行革は大いに賛成するところですが、意欲ある学生に勉学の道を閉ざすことのないようにと願います。積立などの事前に準備でできるものも残しておきたいところです。

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「教育一般貸付」の条件は、一定の条件を満たす高等学校や大学等、中学卒業以上の方を対象とする教育施設への入学・在学する場合が対象となるほか、世帯の収入による制限もあります。融資額は学生・生徒一人当たり300万円が限度で、使い道は入学金や授業料のほかに、受験の費用、住居費、教科書や教材費、修学旅行費など多岐に渡ります。入学資金の融資を受ける場合は入学前に申し込み出来ます。返済期間は15年(母子家庭等は18年)で、在学期間は利子のみ支払う場合の返済期間は10年となります。利子は借り入れ時の社会状況で変動しますが、平成23年4月1日付で2.75%(母子家庭は2.35%)となっています。

参考:日本政策金融公庫

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歴史のある専修学校-2 村田学園

村田学園は「村田簿記学校」として有名です。学校法人村田学園は古い歴史を誇り、明治42年の設立で、平成21年に設立100周年を迎えています。村田学園のHPによると、教育理念は「…深く専門の学芸を教授研究し、人間性豊かな教養と創造的能力を涵養するとともに、現代の職業や実際生活に必要な専門・実践的知識技能を有する有為な人材を育成する。」とあり、建学の精神として「…近代経営の根幹は経理事務の充実であり、経理の道は国民常識としてあまねく普及されなければならない。…尾崎咢から贈られた『有算者勝』(算ある者は勝つ)を座右の銘にし、綿密な計画や信念をもってことに当たれば、必ず目的を達成する事ができるという心理を教えるものである。」とか書かれています。

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創業時の「銀行会社事務員養成所」を大正10年に『村田簿記学校」に改称し、その間高校や短期大学を開校し運営してきました。平成18年に長い伝統を誇った「村田学園」は休校になり、翌年「専門学校村田経営義塾」と改称し開設になっています。その後、業務は「東京経営短期大学」のエクステンションセンターに移管されています。現在、学校法人村田学園としては「東京経営短期大学」、「村田女子高等学校」、「村田学園小石川女子中学校」を運営しています。

参考: 村田学園HP

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歴史のある専修学校-1 中央工学校

専修学校の中にも長い歴史を誇る学校があります。そのひとつ中央工学校は明治42年の創業で、2009年に創立100周年を迎えました。中央工学校のHPには、「中央工学校の専門教育の基本方針は、役立つ技術力を備える厳しい実務教育と、正しい心・思いやる心を育てる人間涵養教育です。」と書かれています。実務に直結した技術者の育成を目指して、厳しい専門教育的実務教育が行われています。特に建築の分野の歴史は古く、広く建築業界に技術者を送り出しています。

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実務教育は、主軸となる建築関連の学科構成からも窺えます。夜間の工業専門課程もありますが、昼間の工業専門課程の学科は、「建築学科」、「建築工学科」、「建築設計科」、「女子建築設計科」(この科のみ女子のみ。そのほかは男女共学)、「木造建築科」、「建築設備設計科」、「建築室内設計科」、「インテリアデザイン科」、「インテリア科」、「インターテインメント設営科」、「都市環境学科」、「土木建設科」、「造園デザイン科」、「測量科」、「地理空間情報科」、「メカニカルデザイン科」、「3D-CAD科」、「情報システム科」と、実に多彩です。実際の建築関連の業界で細分化されている職能の通りに学科が構成されているところが、名前は様々ですが、「建築科」等に一くくりにされている大学との違いに現れています。就業年限は学科によって1年~4年で、特に4年制の建築学科は学士に順ずるもので、大学院進学が可能です。

参考: 中央工学校HP

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